Diary 2004. 2
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2月29日 (日)  本番

朝から法要を済まし、同時に叔父と魔女の永代供養をしました。啓子とも再会して馬鹿なこと言ってすごしました。
@おばはんと話していたんですが・・・
「ここに住みたいなぁ・・・」って。
けど現実は食っていかなければならないんやでぇと言う話になると@おばはんは
「そこの福祉施設に私は雇ってもらう」
ちょうどセレモニーさんの裏あたりに建設中だったのです。
「そしたらわしは?」
「あんたセレモニーさんに雇ってもらい!」
「そんなのわしは葬儀屋さんなんか出来ないわー!それよりもセレモニーさんが断らぁるわー!」
こんな会話が真剣に続きました。馬鹿な夫婦でしょう!


2月28日 (土)  法要

田舎では49日もしくは35日の法要をするにあたって3ヶ月にわたるとダメと言うのでこの日に決定してありました。当然の様にセレモニーセンター水元さんにまたまたお世話になりました。
今回は魔女の遺体はなく、まったく関係ない方が3体・・・お〜〜〜〜〜怖い!
でもセレモニーさんに到着したときは「ただいま」って言ってしまいました。(爆)
その日に我々が来るのを知っていた魔女@叔母のお友達3人衆がグループの親分ちでお昼ごはんを作って待っててくれたそうです。魔女はジメジメしたのが嫌いだったお友達がみんなでワイワイとやろうと計画してくれたそうです。朝から集まってくれていたそうですが、我々が到着したのは夕方の4時!みなさんは待ちつかれて3時ごろご飯を食べて解散されたそうです。
わたしと家内は自治会長さんちへ挨拶に伺っている間にお友達の親分がお寿司と汁物、お漬物を持ってきてくれたそうです。
それから親分ちへお邪魔して色々昔話を聞いて時間の立つを忘れてしまいました。
親分はお通夜のときもお葬式のときもおにぎりや差し入れを持ってきてくれました。


2月5日 (木)  お迎え!

病院に預けていたエービーを朝一番に引き取りに行きました!
もう、ここで述べるまでもないですね!(爆)


2月4日 (水)  引越し

葬式も終わり何もかもすべて終わったと思いきや大間違い!荷物を空っぽにしてアパートを都に返さなければなりません。わたしが滋賀でお世話になってる西武運輸に連絡して引越しをすませました。荷物は引っ越した日に亡くなったので殆どがダンボールに入ったままで運搬はかなり楽でした。これも魔女@叔母の配慮かな・・・
荷物を片付けている間にメモ帳が出てきたんです。(ほかにもいっぱい出てきたけど)
そこには「Aゼル Bゼル」と書いてありました。
そうです!エーデルビーデルのことです。胸がいっぱいになりました。魔女はワンコも大好きで滋賀へ来たときはエーデルの写真をいっぱい撮って可愛がってくれました。ビーデルは写真でしかしりませんでした。
アパートの中が空っぽになり鍵も自治会長さんに渡し、セレモニーさんへ帰りました。もうなにもかも終わり。またまたセレモニーさんに甘えて少し仮眠をとってから滋賀へ帰宅しました。
滋賀は雪が降っていました。


2月3日 (火)  すべて終わり

1月31日の夜からセレモニーセンター水元さんにお世話になって本日で告別式も終わりました。
セレモニーさんにはビジネス以外でもいろんな面でお世話になりました。「これも何かの縁です」と言って笑ってる奥様の笑顔が目に浮かびます。
奥様は昔、旅行へ行ったときに困ったことがあり見ず知らずの人に助けてもらったそうです。それでみんなに対して親切にしようと思ったそうです。部長さんは若いころ10ヶ月の赤ちゃんを残して20歳の奥さんに先立たれたそうです。奥さんに近づけることをしようと思ったらしいですが、最終的に葬儀屋さんになり送り出す仏様に「あの世へ行ったら家内によろしく言っておいてください」と毎回お願いしているそうです。
「本当の悲しみを味わった人でないと葬儀屋は出来ません」とも言っておられました。
セレモニーさんには言葉や文章で表せないくらいお世話になりました。

ここで、葬儀屋さんとはおしまいになるのですが、一人暮らしの魔女@叔母だったのでアパートの荷物をすべて片付けてからでないと滋賀へは帰れません!もちろんアパートは泊まるどころか立っているのが精一杯です。
そこでまたセレモニーさんが「いいや!ここで泊まっていきなさいよ!」と言ってくれまいした。
東京さへ来てここまで親切にしてもらえるとは夢にも思っていませんでした。ビジネスと言ってしまえば終わりなんですが、前にも言った様に言葉や文章では本当に表せないくらいの「暖かみ」を感じました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、社長!小さい体ですが奥から貫禄が沸いてきていました。専務である奥様、凄く優しくて知的で暖かくて・・・そして美人です。心の中まで美人な人でした。部長の根本さん。真っ白な髭おやじですが色々な人生経験やぶっきらぼうな表現の中で優しさを感じました。「お酒を飲みすぎたらあかんよー!」って@おばはんが言ってたくらい私達の叔父って感じでした。

みなさんこのご恩は一生忘れません。


2月2日 (月)  不思議なことに・・・

いつもセレモニーさんの事務所にはヨーキーがいました。セレモニーの社長さんとお話していたなか、家にも柴犬がいると言うのです。この柴犬はネットで里親探しから頂いたそうです。そしてヨーキー(ダイスケ)もその類で(迷子犬?)来たそうです。ダイスケは私の長男と同じ名前です。
ここまで来てワンコ繋がりになるとは思いませんでした。その後の奥さんからのメールはダイスケママでした!(爆)

少し落ち着いたのでエービーを預けている病院へ電話を入れたところビーデルが預けた日の翌日、酷い嘔吐と下痢で大変だったらしいです。なにも悪いところはなかったんで先生は神経的なものでしょうとのこと。確かにゲージへ入れるとき、エーデルはすっと入ったのにビーデルはなかなか入らなかったんです。また、どこかに連れて行かれるのかなぁ?と保護されたときのことでも思い出したのでしょうか?
預けたところが病院だったから幾分かは安心してられましたが・・・


2月1日 (日)  魔女@叔母

性格は?と聞かれれば・・・
チャキチャキの下町の江戸っ子って言う感じで自分は水を飲んで暮らしていても人には凄く気前がよく、わたしも大人になってからでも世話になりっぱなしでした。

魔女は葛飾の都営アパートに住んでいました。叔父(旦那)は二十数年前に亡くなっていました。親、兄弟姉妹は終戦時空襲で亡くなりました。身内と言えばあっしのおやじだけでしたがおやじも数年前あの世へ遊びに逝ったまま未だに帰ってきません。
その都営アパートが古くなったので立替をするという話が出て魔女@叔母は立石の都営アパートへ引越ししました。今年、水元のアパートが出来上がり戻ってきてもよし、そのまま立石で暮らしてもよしと言うなか、魔女@叔母はどうしても戻りたかったみたいです。
2003年末くらいから体の調子を崩していて、行ったことのない「病院」とやらに始めて行ったそうです。入院と言うのはわかりきっていたのですが引越しをしてから行くつもりだったと思います。荷物を整理していたら「入院にいるもの」とメモ書きがあり下着や服・・・などがまとめてありました。
2月1日から入居スタートなんですが、魔女@叔母はどうしても早く引越ししたい!と言い、1月28日に引越しをしたそうです。「引越しが済んだら広くなるから泊まりにきなよ!」って言ってたことを思い出しました。
引越しが済み運送屋さんとお友達と遅い目の昼ごはんを中華料理で済まし、その後疲れたのかそのままの状態でテレビを見ながら寝たみたいです。
そのころ、私の次男が専門学校の合格を先生が知らせに私の家に来ていました。

10時過ぎごろ、肝硬変の為死亡。
テレビも電気もつけたまま被っていた掛け布団も座布団もそのままで苦しまず一人で逝ってしまいました。
なぜわかったかと言うと、お友達と近所のお風呂へ行くのが楽しみだったんで翌日も約束していたにかかわらず電話もつながらない、電気を必ず消して寝る人が夜もつきっぱなし。(6階建てのアパートに魔女@叔母だけが引越ししていたのでポツンと明かりがついていた)
30日におかしいなぁと思った友達が鍵を開けてもらおうと鍵屋さんに連絡したら月曜日にしてくれと言われ、緊急だと言って警察や大家さん(区役所)にきてもらったそうです。鍵を開けるのなら身内の立会いが必要と言うことで小岩の叔母達が駆けつけたんです。(今は小岩ではないけど・・)
最近の鍵は頑丈で鍵屋さんでも開けられず、仕方なくドアを壊して入ったそうです。

魔女@叔母は本当に誰にも世話にならず魔女らしい死に方でした。


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